2017-02-17 第193回国会 衆議院 予算委員会 第12号
浜田幸一先生と名前は似ているんですけれども、こちらはそうではなくて浜田宏一先生ですが、エール大学あるいはまた東大の先生を歴任した浜田先生です。
浜田幸一先生と名前は似ているんですけれども、こちらはそうではなくて浜田宏一先生ですが、エール大学あるいはまた東大の先生を歴任した浜田先生です。
だから、皆さんの方ももっと分かりやすい、見て、こういうグラフで書いたものなんかをどんどん出して分かるようにしていただきたい、こう思うし、かつて浜田幸一先生は、一万円札を持ってきて、この一万円の幾らが社会保障で幾らが防衛費でとよく説明する。みんな分かりやすいと言うんですよ。だから、国民は皆レベルの高い事業経営者ばっかりでないということを理解しながらやっていただきたいと、こう思います。
私が、昭和四十四年に国会に当選したとき、隣が浜田幸一先生でございました。この東京湾横断道路、もう懸命に運動しておられたことを私、目の当たりにしてきたものです。もう引退をされてしまいまして、今はもう御令息の時代になりましたが。
考えてみますと、確かに二見伸明は〇〇一番とこうつけて、海部俊樹先生は〇〇二番とこうつけられる、それから後ろから激励してくれた浜田幸一先生は〇〇七とかこうつけられて、この番号は何のための番号かいなというと、あなたから税金を丸ごといただくための番号ですと言われて、これは喜ぶ人は正直言っておりません。幾ら公平とはいいながら、それは嫌だよということになります。
「この物件を最初に私のところへ持ってこられたのは、衆議院議員の浜田幸一先生でありました。」「浜田先生は」「以前から国際興業の会長や社長とは付合いがあったらしく、よく会社に出入りしていたことがあるので、私も先生の顔を知っておりました」「浜田先生が最初にこの話を持ちこんで来たのは、その年の七月初めのころでしたが、」四十七年のことですね。
この物件を最初に私のところへ持ってこられたのは、衆議院議員の浜田幸一先生でありました。 浜田先生は、千葉県第二区選出の議員で以前から国際興業の会長や社長と付合いがあったらしく、よく会社に出入りしていたことがあるので、私も先生の顔を知っておりましたし、不動産取引の会社を経営しておられることも知っておりました。